しばらく行方不明だった弟の話

昔の話
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物騒なタイトルからのはじまりで、失礼します。

昨日、弟と電話で、「正月(実家に)いつ帰る?」って話をしてて、

夜、何気に弟の昔のことを思い出しながら眠りにつきました。

3人姉弟の長女の私には、ふたりの弟がいまして、

2才下の弟は、13、4年前から約9年間、行方不明だった時代がありました。

連絡が途絶え、私たち家族が居所を知らなかっただけで、実は同県内でしっかりと生存していました。

 

 

実家や私たちの前に顔を出さなくなった理由は、姉弟と言えども個人的なことなので深く立ち入って聞いたことはないのですが、

たぶんやってた事業がうまく行かなくなったのではないかと、姉としては思っています。

と、その時期に弟も離婚したりと、荒波の中で必死に生き延びていたのでしょう。

(ホントは波にのまれ無人島に遭難し命からがら生き延びて、やっとの思いで帰って来たのかも。それなら9年かかってもしゃーなし…想像は自由笑)

 

 

子どもの頃の弟ショウちゃんは、やせっぽっちのチビだけど、運動神経抜群でめちゃくちゃ足が速い。

明るく活発でおもしろく、姉の私が言うのもなんですが、クラスの人気者でした。

小学3年生がモテ期のピーク。

冷蔵庫に入りきれないほどの、バレンタインのチョコレート。

冬なので、子供部屋に置いてても大丈夫なはずなのに、溶けるのを心配してか、

冷蔵庫にぎゅうぎゅう詰め込んでいた。

詰め込み終わらず、またピンポーン♪

「あとで、ちょっと(チョコ)やるけん、冷蔵庫いれとってー」

と、ひっきりなしに訪ねてきた女の子の対応に追われていた。

そんなリーダーシップ気質のショウちゃん人気は、中学、高校、短大とかわらず、いつも周りには友達がいっぱいでした。

 

 

そんなショウちゃんとは、末弟の結婚式以来9年間連絡が取れていませんでした。

最初の数年間は、出ないとわかっていても、年に数回は電話をかけていたのですが、

きっと、話したくないんだろうな…

そう思い、次第にかけなくなってしまっていた。

家族の中で、ショウちゃんの話は絶対タブーという雰囲気まではなく、

「いったいどこにおるんかねー?」なんて、お盆や正月にみんなが集まると、誰かがふと口に出すといった、ふわっとした空気の9年間でした。

私の中では、10年過ぎたら、捜索願を出そうと決めていました。

まだ、9年だったし…

結論からいうと、出さなくてよかった。

なぜって、オトンのぶお(オトン話はこちら)だけは、こっそりと連絡をとっていたので、

危うく恥ずかしいオチになるところでしたよ。

オトンもオトンで、誰かがショウちゃんの話題を口にしても、ずっと知らんぷりしてて、

嫁のオカンにまでも、秘密にしていたとは。

自分だけズルくない?

オトンにしてみれば、男同士の約束を律儀に守り通してたんでしょうね。

どれだけオカンが心配していたか、時折かけてくる電話の中だけ、吐き出していたことを娘は知っていたので、男同士の約束ほど、めんどくさいものはないなとあきれたのを覚えています。

 

 

ここからは、ショウちゃんが9年ぶりに現れた日の話です。

音沙汰がなくなって9年経ったある日、オトンのぶおから連絡がきました。

「ショウスケが帰ってくるちぞ」と。

それはそれは、我が家は大騒ぎ。

次女あおが生まれたことも、再婚したことすらも知らない。

なんせ9年ぶりのショウちゃんなのだ。

成人した冬郎とバナナも、小中学生以来のショウ兄ちゃんなので、実家に、ショウちゃんだよ!全員集合です。

前情報では、彼女も一緒に連れてくるとオトンから聞いていたので、

どんな顔で帰ってくるか、みんな首を長くして待っていました。

オトンなんか、家と駐車場を出たり入ったり、何度繰り返したか。

まったく落ち着きなし笑

 

すらりとした若い美人の彼女を連れて、9年ぶりに現れたショウちゃんは、

どこかに髪の毛を忘れて帰ってきました。

髪の毛の代わりに、ちょっとしたビールっ腹も連れてきたようで。

 

『まいど!おひさしゅう!』

かっる~い挨拶は、いつものショウちゃんでした。

頭のあたりの眩しさ以外はね。

 

 

なんだよ。なんだよ。

9年間も音沙汰なしで、心配したじゃないかよ。

再婚したことも、次女を出産したことも言いたかったし、

なによりも、ショウちゃんが苦しい時になんの手助けも出来んやったことが、悔やまれたよ。

そりゃ、母子家庭の姉になんか、頼れるはずがないよね。

生きてんのかな。

死んでたら家族に連絡くるはずやもんな。

ひとりぼっちで病気とかしてないかな。

正月とか、さみしくないんかな。

独り身で孤独な老後を送るなら、私が面倒見てやるよ。

 

 

と、今まで思ってたぜーーーんぶが、

艶のある頭を見て 、(ハゲと言え!弟に配慮すな)

すっかり吹っ飛んだ私でした。

後から聞いた話では、9年ぶりに帰って来た最初は緊張した、と言っていたのですが、

その時は、そんな様子を微塵も感じさせることなく、サッパリと明るく帰って来たので、

待ち構えていたみんなは、ショウちゃんのその雰囲気にすっぽりと飲み込まれてしまったのでした。

 

 

実はショウちゃんよりもひとつ年上だった見た目が若く綺麗な彼女に、

『こんなハゲのどこがいいと?』『目が悪かろ?』『今すぐ眼科行かな!』

と、オトンのぶおが、初対面でさんざん失礼極まりない発言を繰り返していたころ、

台所に隠れてこっそりと涙を拭いていたオカンを、私だけが見ていました。

みんなにバレないように、すれ違う振りをして背中をさすってやるのが精いっぱいでした。

一生忘れないだろうな。

オカンはこの日を、どれだけ待ち望んでいたか。

 

 

それぞれが解散し、自宅に戻ったころ、オカンから電話がきました。

「今日はありがとね。みんながおってくれたけん、明るい雰囲気で迎えられたよ。はあー、ホッとしたら涙がでたねー。あはは」

と、久しぶりに1トーン高い弾んだオカンの声でした。

「オトンは、さんざん喋り倒して酔っぱらって寝とるよ。いつものこと。」

とまあ、想像した通りで。

ジョークどころではない憎まれ口が性分で、でも時々おもろい事も言うので

余計に腹がたって、どーしてもどーしても言いたくないのですが、

オトンなりに気をつかって場を明るくしてくれたんでしょう。

(ちッ。認めるのもシャク)

   

ショウちゃんが帰って来てからのにぎやかなお正月を、数回堪能したあとすぐに、

オトンはころっと逝ってしまいました。

自分の役目は果たしたと言わんばかりに…

 

通夜、葬儀と一通り終えた後、ショウちゃんは言いました。

『俺、かえって来とってよかったわー、マジで。』

音信不通のままオトンがあの世に逝ってしまってたら、

ショウちゃんの枕元にオトンが来て、毎晩晩酌に付き合わされることになるで。

成仏させようと晩酌付き合ったら、ショウちゃんの方が肝臓こわしてあの世行き。

あ。それがオトンのやりかたかー!笑

  

 

去年はコロナ過で帰省も自粛してたので、

今年はオカンのためにも、みんな揃ったお正月にしてやらなな。

さ。今年も残すところあと一週間。

やり残したこと、忘れたいこと、思いつく限り年内いっぱいまで、

書いていこうと思っています。

 

 

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

次回もお楽しみに。

 

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