30年前の今日、妊娠7ヶ月での死産

昔の話
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重々しいタイトルで、身構えたかもしれませんが、今日はちょっとこんな内容で書かせてもらいますね。

普段、ここには、

大して役に立たず、ふざけて、ノリツッコミしてー、っていう記事ばかりで。

基本、暗い内容は書きたくないと思っているんですけど、

多少重たい部分もありますが、それだけではないので、良かったら最後まで読んでいただけたら嬉しいです。(いや。むしろ絶対読んでほしいー)

 

 

30年前、最初の結婚の時の話です。

いわゆるデキ婚とゆーやつで

夏の気分が抜けない初秋に妊娠がわかり、なんだかんだとバタバタしてたら、一緒に住み始めるのは年明けになってしまいました。

その頃にはお腹も少しふっくらとしていて、胎動も感じていました。

引っ越しで、多少いつもよりは、ってゆー位の疲れは感じていたものの、そこまで無理した記憶はなかったです。

少し落ち着いてから、引っ越し先で産婦人科に行きました。

出産の予約と、妊婦健診のために。

初めての病院と初めての先生に少し緊張しつつも、

エコーで、ドッドッドッと脈打つ元気な赤ちゃんの心臓を見れて安心して帰宅しました。

 

次の日、

あれ?

今日胎動したっけ?

て、思ったのが、夕方。

 

んー、寝てるのかな?

たまたまわかんなかっただけかな?

と思い、夜まで待ちました。

夜中になったら、(お腹の中で)起きて動くかも…

なんて、その夜は呑気に眠ったのです。

が、次の日、やっぱり日中胎動を感じません。

少しふっくらとしてきたお腹を何度触ってみても、ポコポコとも、グニュグニュとも、何の動きも感じられないのです。

でも、おととい、産婦人科であんなにドクドクと脈打ってたし、心配しすぎかも…

と、一日中もやもやしながら過ごしたんですが、夜オカンに電話してみました。(ネットなんかない時代)

『心配なら病院いってみなさい。一回の診察代なんか、安心出来たら安いもんよ』

と言われ、翌日診察に行きました。

赤ちゃんの心臓は止まったまま、何の音も聞こえませんでした。

30年も前の事なので、言葉ひとつひとつは忘れてしまいましたがエコー検査で、首の骨がずれていることが確認されて、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっている証拠だと告げられました。

原因はわかりません。

痛いわけでもなく、お腹が張るわけでもなく、変わりないふっくらとした丸いお腹のまま。

今となっては、その当時の若い私は、現実を明確に受け止めてはなかったんだと思います。

診察が終わり、入院の荷物を取りにいったん自宅へ戻り、元ダンナとオカンに連絡しました。

再び産婦人科に戻ったら、すでに私の病室が用意されており、手術着に着替えるとすぐ陣痛促進剤の点滴が始まりました。

7ヶ月を超えると死産となり、「産む」感覚で胎児を出します。

促進剤を打つと、急にガツンとした陣痛が来たのを覚えています。

一回のいきみで終わりました。

看護師さん達が、とても優しく励ましてくれたり、寄り添ってくれたのは忘れません。

死産でも、陣痛を起こして胎児を出し、その後は子宮も収縮するという身体の仕組みは出産と同じこと。

子宮収縮の後陣痛もありましたし、おっぱいも張って母乳がじんわりと滲み出てきました。

看護師さんにお願いして、赤ちゃんを病室に連れてきてもらい、その晩だけ添い寝をしました。

次の朝、お別れする前に、一度抱きしめました。

ちっちゃな可愛い手の先には、これまたちっちゃな可愛い爪もついていました。

女の子らしくつぶった瞼にくるんとしたまつ毛もありました。

病室から連れられた赤ちゃんは、病院の従業員用出入り口で待ってた元ダンナとオカンに渡されていました。

それから数日して退院したのですが、

診察に行き、入院し、手術をして退院するまで、ほとんど涙が出なかったんです。

今じゃ、オリンピック観ても、

相葉くんと保護犬見てもすーぐ泣くのに、

人間、悲しいの端っこを超えると、涙ってでないもんだなーって実感しました。

 

 

退院して自宅に戻り、幾日か経ったころ、

ふと、タンスの上の骨壺に気付きました。

赤ちゃん用のちいさな骨壺です。

そこで、やっと私は、

ああ。火葬されたんだ、と理解しました。

そういえば、看護師さんとオカンが火葬場がどうのと言ってた記憶がかすかに戻ってきて、

周りのみんながきっと、私にこれ以上辛い思いをさせないようにと、

私を飛び越えた頭上で話をしてくれてたんだなーと、またそこで知りました。

 

骨壺を手にとってみました。

表になにか書いてあります。

「◯◯鮎美」

(◯◯は苗字です)

 

ん?

あゆみ?

って、

この子の名前??

いつ(名前)付けたん?

だれ?

誰が?って、この字、元ダンナのやし。

しかも、マッキーで書かれとるやん。

どおりで、テーブルにマッキー転がっとったわけ。

 

え。まじで、

なんも聞いてない。

てか、

勝手に名前つけたん?

ちょっとは相談とかなかったんか?

まー、バタバタやったのはわかるけどよ。

自分がつけたかったんかもしれんけど。

釣り好きで、「鮎美」って、犯人バレバレやし。

「俺がつけるねー」とかー。

(いや待て。一緒に考えよーや。私の子でもあるぞ)

「鮎美って、どう?」とかー。

(即、却下)

なんなら「つけたよ」だけでもいい!

(つけたんならしゃーないか)

ひと言、

せめてひとこと言ってくれよ。なあ。

(ロッチ中岡?笑)

 

あまりにもビックリしすぎて、

仕事から帰ってきた元ダンナに自分からすんなり聞く気にはなれませんでした。

いつか、元ダンナから話して来るのを待ってやるぞ、と。

 

30年経った今でも、元ダンナとその話を一回もしたことがありません。

(今はたまに連絡をする程度の関係です

そんなこんなで、泣きのタイミングを失ってしまった私は、しばらく自宅で療養していました。

が、手術からちょうど1か月経った日に、

ふと突然、

涙が勝手にあふれ出てきたのです。

そこから1か月間、毎日泣きました。

感情が現実に直面したのでしょう。

 

  

 

私はこの記事を書くにあたり、

大事なことほど「口に出して伝える」というのが思った以上に大切だと、改めて思います。

これが、私の離婚への小さな分かれ道の一歩だったのだと。

 

そして、私は、元ダンナに言ってやる!

マッキーで書くな!

消えんやろがぃ!

大切なことなので、面と向かっていつか必ず伝えるつもりです。

 

 

 

毎年この日は寒いのです。

今日も冷えます。

いつも有給休暇をとり実家へ墓参りに行くのですが、

九州の福岡なのに積雪の中、チェーン巻いて、墓参りに行ったこともあります。

それくらい毎年2月1日は寒いのです。

30年前の今日も、雪が降る寒い日でした。

今年は急遽仕事が入ってしまい、命日に墓参りが出来ない事をとても残念に思っていますが、

少しでも供養になればいいなと勝手ながら書かせてもらいました。

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

次回もお楽しみに。

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